「My Darling’」が如何に一部の嗜好を持つものの気持ちを掻き乱したか、あるいは歌詞に関する妄想

※文中に夢妄想の要素も含んでいるのでご注意ください。いわゆる何でも許せる人向けの内容です。CP派の人には余り向かない内容かもしれません。

ペットシッターの皆さん、こんにちは。前回は「ち~むアニマるん!」楽曲「My Darling’」の現地での盛り上がりについて解説したが、今回は歌詞について語ろうと思う。前回の記事を読んでいない人はそちらを読んで欲しいが、別にこのまま読み進めて貰っても大丈夫だ。

ペットシッターって? ち~むアニマるん!って? My Darling’って? と「?」が浮かぶひとはいったん前回記事を参照してもらった方がいいだろう。

さて、今回取り上げる「My Darling’」の歌詞についてだが、歌詞を全文掲載するのはまずいので、歌詞の内容をはっきり思い出せない人は歌詞カードを見るなりしておさらいしておいて欲しい。

アイドルソング側から「My Darling’」を解く

今回の第一のポイントは、「アイドルソングの歌詞として『My Darling’』を読む」である。

普通にこの歌詞を読めば、付き合いたてでずっと一緒にいたい、という初々しい気持ちを歌った歌、と表向きは読めるが、実際はそうではない。

アイドルソングは表向き一般的な恋愛のことを歌っているようであっても、そうではないことがある。実はファンに対する思いや感謝などを表現していることがあり、この曲はまさにそれにあたる。

表向きは~の部分はしばしば無視され、裏に秘められているファンへのメッセージがあたかも「表」であるようかに語られるのだ。

この曲がファンへのメッセージを歌っていると言える大きな根拠は二点ある。
・誰より大好き(1番サビ終わり)
・1番? じゃぁ2番がいるの?(2番Bメロ)
だ。

誰より大好き、という表現は普通に解釈するならば特にファンへのメッセージとはなり得ない。しかし、「DD」というオタ用語を下敷きにすると様相が異なってくる。

「DD」というのは、「誰でも大好き」というオタ用語で、いわゆる「推し」(一番好きなアイドル)至上主義ではなく、箱(グループ)全体を推すなど、比較的フラットなファンのあり方を指す言葉である。

この「誰でも大好き」という言葉をもじって「誰より大好き」と歌詞に入れ込んでいるのだ。「ファン文化を下敷きにした表現なのであなた達に向けた言葉ですよ」というサインに他ならない。

そういう文脈で「誰より大好き」という歌詞を解すると、「私はアイドルであなたは『誰でも大好き』とか言っちゃうけど、私は他の娘のところに行っているあなたのことは知らなくて、私のところに来るあなたしか知らないから、あなたを『誰より大好き』になるしかないんだよ」というような意味に取れる。

一応補足しておくと、この楽曲が発表された2015年当時のアイドル界隈においては「ファンがアイドルに恋をしているのだから、アイドル側もファンに恋をしているように振る舞うべき」という方針はよくあるものだった。

そして、「1番?じゃぁ2番がいるの?」である。ファン文化としては「一推し」がいるのなら「二推し」も当然いる。「単推し」の人には縁のないことではあるが。

「二推し」とか言ってないでつべこべ言わず私を単推ししろ、という圧を感じる。

つまり、この楽曲の表の意味はオタフィルターを通すと、「私を推して!」という意味になってしまう。それが合いの手混じりで披露されるのだから盛り上がるのも分かる。

ファンとの逢瀬(コンサート)

こういう目線で言うと、ファンに向けたと取れる表現は幾つかあるので挙げておく。

「よそ見をしてちゃダメだよ」は、「他のアイドルを見ないで」「私(推し)だけを見てて」。

「ぜんぶぜんぶあなた往きなんです」は「あなたに見て貰うために、歌い、踊り、SNSを更新しています」。

「オシャレして気合いを入れてメイクして会いに行くから覚悟しててね」は、「あなたの街でコンサートをするから来てね」。

「お揃いの思い出いっぱい増やそっ」は、「コンサートで何回も盛り上がろう」。

などなどである。

とんでもない詞である。この曲はどんな人が作詞したのだろう、と気になるところであるが、クレジットはどこにもない。

恐らく、平和から制作会社に依頼し、その制作会社は楽曲制作を請け負う会社に依頼し、その会社は更に専門の会社またはフリーランサーに依頼し、著作権買い切りで作詞作曲をして貰う(場合によっては依頼主に戻るまでの間に各種手直しが入る)、という経路を辿ったため作詞も作曲も特定の名前をクレジットできないのだろう[編集注:筆者の想像です]。

ともあれ、やや露骨なところもあるが、かなりいい角度でアイドルとファンの関係を俯瞰していないとこんな詞は生まれないだろう。会社所属、あるいはフリーランスの作詞家氏の凄みがある。

ところが、話はそこで終わらないのである。

アイドルソングを隠れ蓑にした真実の歌詞

あくまでもこの歌詞はアイドルからファンへの気持ちを歌ったものである、ということをベースにすると見過ごしがちであるが、表向き(どちらが表か、もはやよく分からない)の歌詞をち~むアニマるん!を介して解釈すると、恐るべき意味が浮上してくる。

先の投稿で「もっと、ずっと、ぎゅっと」の解説をするときに、これは誰の気持ちを歌ったものであるかという部分に尺を割いたが、今回はそんなことはしない。

アイドルソングは、好きなアイドルを主人公であると仮想して歌詞を解釈していいと相場が決まっている。[編集注:決まっているんですか?]

だから、この歌詞は、アイドルではない一人の少女であるソウリンが、ヒデヨシが、ナツが、あやかが、みいなが、「あなた」に向けた気持ちを歌っていると妄想していい。[編集注:いいんですか?]

そういう前提で、アイドル⇔ファンではなく、一対一の人間関係として文字通りに歌詞を読んでみて欲しい。

「あなた」=「ダーリン」に対する、やや前のめりな真っ直ぐな気持ちを感じないだろうか。

他の娘をチラっと見ただけで焼きもちを妬かれる。どんな気持ちも「あなた」に向けられている。どんなところも受け止めてほしい。

精一杯のおめかしをして「あなた」に会いにくる。しかも、「甘え上手」になりたいと思っている。

1番好き、と言ったら「2番がいるの?」と聞いて困らせたくなる。とにかく、自分だけを愛して欲しい。

瞳の奥にずっと私を映してね。二人の想い出を増やしていこう、約束だよ。

⋯⋯という感じなのだが、これは170kmの剛速球だ。とてつもない力強さを感じる。しかし、これでは終わらないのがこの曲の恐ろしいところなのだ。

「私」の年齢設定

手がかりはどこにもないのであくまでも想像に過ぎないが、「私」の年齢設定は10歳~16歳くらいではないかと思う。

ちょうど大人に対する漠然とした憧れを抱きはじめる年齢から、そろそろ大人の仲間入りをし始める年齢である。

漫画版の乙女フェスティバルではメンバーは全員高校生という設定になっているため、そこを採用しても良いのだが、漫画版は色々と漫画独自の設定が繰り広げられているので、今回はそこは参考にせず進めよう。

薄弱ながら「私」が10~16歳くらいであると推察できる根拠は以下のようなものが挙げられる。
・グループのコンセプト(小さい娘)
・オシャレとメイクという言葉から感じる背伸び感
・相手のことしか目に入っていない猪突猛進感
・約束という重い言葉を使ってしまう未熟さ

では「あなた」はどんな人物なのだろうか。ヒントは歌詞の中にある。

鈍感で優しいを文字通り解釈すると「私」の好き好きアタックをスルーするけれど、邪険にしている風ではない。

つまり、余り表立って好意を表明できない立場にあるのではないだろうか。

しかしながら、何かのタイミングで二人きりになったときに詰め寄られ、何番目に好きか聞かれる事態となる。絞り出すように1番、と答えるのだが⋯⋯。

「1番?じゃぁ2番がいるの?」という追撃である。これが何番目にかわいい、というような無邪気な問いであれば2番がいるのかという追撃は生じない。

このように困った状況になるのだが、そもそも「困らせてみたくもなる」というのは、普段はかなり余裕のある対応をしていると言える。

そして、何番目、という問いが大きなキーポイントだ。そう、ライバルが沢山いるのである。

これらを総合すると、「あなた」は10歳~16歳くらいの女子に囲まれて仕事をしているのではないか、という推論が生まれる。

学習塾や習いごとをする場のスタッフなんかが一般的にありうる範囲ではないだろうか。もう少し攻め込むと、アイドルグループの周囲のスタッフなんてのもあるだろう。

ざっくりと、「あなた」は「先生」と呼ばれるような立場なのだと仮定しよう。学校以外の。

非常に危険な状況である。連絡先交換、「1番好き」と答えてしまった、そして既に抱きしめてしまったのだ(「明日も明後日も抱きしめて」、ということは今日は⋯⋯)。

これだけだと大変よろしくない話、で終わるのだが、もう一歩踏み込める部分がある。

永遠を信じる者、信じぬ者

サビの2ブロック目に注目しよう(「オシャレして~」「電話して~」)。歌詞ではなく、伴奏に注目して欲しい。

どこか物悲しさを感じさせるギターが聞こえて来ないだろうか。このフレーズは「先生」が気持ちを受け入れてくれるかという不安、「1番好き」と言って貰えたけれどどこか煮え切らない態度を取られている(が、それを見なかったことにしている)不安を示唆している。

「先生」側の気持ちも反映されているかもしれない。そう読むと、更に落ち着かない気持ちになる歌詞がある。Dメロである。

余談だが、ラスサビや落ちサビ前にあるそれまでにないメロディの部分は通例Cメロになるが、この曲はサビまでの間にAメロ、Bメロ、Cメロがある少し珍しい構成なので、ラスサビ前がDメロになる。

Dメロでは不安定さを感じさせるような、どこか危ういメロディラインから始まり「私」の願いが語られる。

あなたの瞳の奥 ずっと映して
お揃いの思い出いっぱい増やそっ!
約束 一緒に

「約束するよ」と「先生」は答えるが、「先生」は分かっている。こんな関係長続きはしないと。誰かにバレたらそこで終わり。人生終了すらある。

バレなくても、どうせ「私」が大人になったら、いや、大人にならなくても環境が変われば(進学等々)、きっと同世代のもっといい相手が見付かって、自分なんか見向きもされなくなるだろう。

自分の瞳にずっと「私」が映っているなんてことは、有り得ないのだと。お揃いの思い出なんて数えるほどしか作れない。

そんな気持ちを飲み込んで、「約束だよ」と言われて「分かった、約束」なんて言いながら指切りかなんかするんだろう。

けど気が緩んでぽろっとそういう不安みたいなものをこぼしたときに「先生のバカー!」と体重全乗せの腹パンされて(そんなに体重は重くないが普通に痛い)うずくまったところを「私」は泣きながらそっと抱き締めて「私には今しかないんだよ」みたいなことを言うんだ、そして「先生」もとめどなく涙を流すんだ。

そういう未来が見える。永遠を信じられる無垢な若人の願いが、それを信じられない大人の悲哀を浮き彫りにするのだ。

そして、この曲の中で都合三回登場する掛け声パートである。三回とも歌詞が変わらない。それだけ、大事な意味を持っているということだ。

Hey! You
Enjoy today
Go Go Smile
Close to your heart
Shining Happy Darling
I can’t stop loving you

ここまでに述べた関係性やそれにまつわる諸々を考慮すると、この掛け声パートが非常に強いメッセージ性を持っていることが分かるだろう。

今を楽しめ、笑顔を見せて、私はあなたを愛することは止められない。もはや悲痛な叫びにすら感じられる。

そういうストーリーを、「私」としてち~むアニマるん!の面々のうち誰かを想定して想像してみてほしい。非常に胸を打つ内容ではないだろうか。純文学のような風情すら漂ってくる。

と、いうわけで、「My Darling’」はライブでの盛り上がりに留まらず、非常に深い意味を持った名曲なのである。まだ音源を持っていない人はこの曲が収録されているCDを購入すべきなのである。

※個人の感想です

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